2014年7月29日火曜日

「相当頑丈」


・6月末から痛み出した右股関節、歩くのも大変になり整形外科へ。
初見では「変形性股関節症になりかけ」と言われる。過荷重等の理由により、
股関節の骨が変形し軟骨や神経を圧迫する症状。登山はドクター・ストップ。

・セカンド・オピニオンのつもりで行きつけの整骨院へ。
いつもの電気治療の他に股関節周りの筋力強化トレーニング5種類を教わる。

そこから毎日のこの5種類のトレーニング、藻岩山1往復、ジョグ10km、
階段300段、毎日30回のスクワットも実施。一週間後、予約していたMRI撮影。

・結果、骨・軟骨とも異常はなく、「股関節の捻挫みたいなもの。
20kmも背負って歩けるのなら相当頑丈(一般的な女性の体力と比べ)」
との結果。嬉しすぎて持っていたメモに思わず「相当頑丈」と書いた。

ところで写真のマンガのこのセリフが気に入ったのでアップ。

2014年7月19日土曜日

北日高1,726峰パンケヌーシ川八の沢~北西面直登沢

行  動  概  記

2014年7月18日、石狩岳を下山し帯広方面に向け出発。途中、タウシュベツ橋梁を偶然見つけ数分寄り道。
糠平温泉郷を経て上士幌市街で携帯の電波復活を確認し、ようやく山岳会に下山の連絡を入れる。コンビニで夕食を調達し、町営温泉で汗を流しガソリンを補給、はやる気持ちを抑えながら日高の道の駅に出発。
夕刻道の駅到着。どこでも眠れる私は迷わず駐車場で車中泊。

翌7月19日はエバさんと北日高の1,726峰を踏んだ。ルートはペンケヌーシ川ハの沢~北西面直登沢だ。
私にとって初めての日高、しかも当分行けないと思っていた沢を遡行してのピークとあって、こりゃ絶対事故があってはならないと石狩岳にも気合いが入った。

1,726峰という山は芽室とルベシベの中間点に位置する稜線上の1ピークで、『北海道の山と谷』にはその情報は載っていなかった。
6:00分に日高の道の駅でエバさんと合流。ペンケヌーシ林道を18kmほど進み八の沢出合いに車を置く。

しばらく緩い沢歩き、やがて小滝群、核心部の滝ではエバさんが記念撮影をしてくれた。源頭部から稜線までは北西面の薄い藪の中を行く。エバさんに言わせるとここは一級国道とのこと。狭薄山に比べ藪はだいぶ薄いが、フェルトの沢靴にこの傾斜は責苦だ。ウツギとササが豊富でつかまるものに苦労しないのが唯一の救い。下りもかなり難儀した。
稜線に出たらほどなく山頂。ガスって何も見えないが初日高無事登頂に言うこと無し。風もなく、音もなく、静かで穏やかなひとときを過ごす。

エバさんがコーラを一口くれる。おいしい。私の中でコーラの価値が急速に高まる。こうして人それぞれにものごとの価値はあるのかと思い至る。私にとって日高も登る価値の高い山だ。名残り惜しくエバさんにコーラを返す。コーラは私の手から早く離れたがり、地面に落としてしまう。シュワーッと泡が立つ。あぁ、コーラが急速にまずくなってゆく・・・。エバさんごめんなさい。

帰りは沢の登路とは違う道を下る。その地形図にない道はエバさんの師匠がかつて踏み固めた道とのこと。うまく八の沢に戻り、滝では一ヶ所ザイルを出してくれて、確保されゴボウで降りる。滝の登下降では3点支持が基本だが、ガレ場歩きでは手を使わず歩いた方が早いよとエバさん。よく見るとエバさんはほとんど手をつかず歩いている。歩くのが遅いのも山では重大なリスク・ファクターだな、これからはもう少し早く歩く努力をしてみようと常々思っていることを改めて意識した。
帰りは点々と付けてきた目印も、覚えたはずの渓相も、ガラッと印象が変わる。行きで地道に付けてきた記憶の中のトレースがすっかりうやむや。ただし今回は正確な地図読みができても先駆者の辿った道を知っていなければなし得ないルート選択だった。なかなか面白い体験をさせてもらった。

帰りに一匹の魚影を見て、心が緩む。

初めての日高はとても優しい姿を見せてくれた。今後はこのペンケヌーシ川ハの沢北西面直登沢を基準に、私の日高路が始まる予定でいる。
しかし相変わらず、日高は未だ遥かなる山なり。







エバさんありがとうございました。






















2014年7月17日木曜日

石狩岳シュナイダーコース北峰ピストン

2014年7月18日 石狩岳シュナイダーコース北峰ピストン 単独行

行 動 概 記


序段

7月17日、この日は誕生日で、記念にどこか達成感を得られるような山に登ろうと思っていた。
石狩岳登山口から十石峠~ブヨ沢~音更山山頂~石狩岳山頂~シュナイダーコース登山口へと下る、登り9h、下り3h30分のロングコースを設定、警察へ届けを提出、所属山岳会へも連絡をした。
当日、遅番の仕事をして23:30分過ぎ自宅に戻ると、クロネコの不在者伝票が入っていた。
きっと恒例の誕生日プレゼントだ。この伝票を見ていたら元気が出てきたので、山行について来て貰う事にした。

一の段

石狩岳へは道央自動車道で札幌JCTから比布JCTまで乗り2,100円だった。
層雲峡から十勝三股方面へ。十勝三股の三股橋から音更川本流林道へ入り、約7kmで石狩岳登山口、更に進むとニペソツ山登山口、その先のごてん橋を越えるとシュナイダーコース登山口だ。

さて、予備日は1日。寝不足だろうと今日登ってしまいたい。しかし、強行はしない、タイム・リミットを過ぎたら引き返す、と決めていた。ならば、確実に石狩岳を踏めるシュナイダーコースを登ろうかと、寝不足が効き、気づけばあっさり日和っていた。

二の段

4:20分、入口出発。本州ナンバーのミニバンが停まっていたが、起きる気配が無い。音更川源流部21の沢沿いの蜘蛛の巣だらけのササのブッシュをしばらく進む
30分程で21の沢の渡渉ポイント、倒木を利用して渡るとシュナイダー尾根取付き。
シュナイダー尾根と言ってもしばらく九十九折の林間コース、なぜか一度コースアウトして大変な思いをした。次第に傾斜がついてくると、寝不足のせいもあり、登るスピードは亀よりのろい。

Co1,100m~1,300m位までの幅1mほどの細尾根、傾斜に加えてアップダウンも激しい。ここでこの山行最大の失敗の修正をする。暑そうだと思い綿パンと綿シャツできたので足廻りがベチャベチャ、靴の中にまで浸水していたのでレインの上下に着替えた。あぁかなりのストレスだった。
この区間では狭薄山で変なことを学習したようで、登山道上で仮眠もした。

Co1,300m位からはV字谷を思わせる道で、時々柱状節理の岩肌が顔を出す
かくれんぼ岩付近には2ヶ所ロープが吊るされており、安全を確認した上で活用させて貰う。
ようやく稜線に出ると、見晴らしの良い景色が広がる。北斜面の谷あいに雪渓が残る。分岐のコルで休憩し、お花畑の中を、一気にCo1,966の山頂へ。

※後で知ったが、Co1,966の標識のあるのは北峰で、ここからさらに10分程歩いた所にある南峰Co1,967のケルンが実質最高点とのこと。ヤラレタ。
三の段

下山は何度か雷にせっつかれ、焦るあまり分岐で下山ルートを見落とした。音更山へのルートを半分くらい進んでおり慌てて引き返す。
もし雨が降ったら、このV字谷状の急傾斜の道はどうなるやらと、ヒヤヒヤしながら降りる。
幸いにも、雨は最後まで降らずにいてくれた。

往復9.5hもかかってしまったが、無事石狩岳を踏めて良かった。

昨年9月に、走って真駒内から豊平川をたどり、札幌市内を抜けて石狩湾河口に注いでいるのを見た。今回はその石狩川の源頭部にたどり着いたのだ。
久々のスケールを満喫できた。

それにしても持ち帰ってきた排泄物どうしよう。





【山 域】北海道東大雪 石狩岳(1966m)
【日 時】2014年7月18日(土)
【コース】ユニ石狩コース
【地 図】1・25000地図:石狩岳
【評 価】上級(夏山ガイド)
【タイム】登り9h、下り3h30分
7/17 23:30自宅発- (4.5h) - 4:00登山口 - (1:30) - 5:30水場 - (2h) -
7:00主稜線(十石峠) - (1.5h) 9:00ブヨ沢 - (2h) - 11:00音更山 - (1h) - 
12:00石狩の肩 - (1h) - 13:00石狩岳 - (0.5h) - 13:30石狩の肩 - (2.5)
 - 16:00シュナイダーコース登山口 - (0.5h) - 16:30登山口
【メンバー】単独
【天 気】曇のち晴れ(予報)
【装備】登山靴、ザック30l、飲料(3l)、ティッシュ、ビニール袋2枚、おにぎり4つ、
フリース、行動食(薄皮ミニあんぱん、飲むゼリー、ナッツと乾燥果物、ソーセージ)、
地図(コピー1枚)、コンパス、雨具、サングラス、携帯電話(充電器)、防水ケース
熊鈴、虫除けネット、着替えと風呂道具、サブバッグ、ヘッデン、紙とペン、
予備電池2本、エマージェンシーシート、鎮痛剤、下剤、テープ


2014年7月10日木曜日

狭薄沢~狭薄山遭難報告書

1.はじめに
2.事故概要
3.遭難に至るまでの経緯、遭難後の経緯
4.原因分析
5.今後の対策

1.はじめに


先にアップした狭薄沢~狭薄山遭難・ビバークの報告に頂いたメッセージを、
私なりに今後の遭難対策に活かそうと思い、記憶の薄れないうちにまとめとして本記事を作成しました。皆さまの貴重なご考察は、反省的に自分自身の山に対する想いを形にするための機会ともなっており、一人で成すのは困難な作業でした。
ここに改めまして感謝申し上げます。

平成26年7月9日記 


2.事故概要


日時:平成25年7月5~6日 単独行

内容:狭薄沢遡行~源頭部を詰め狭薄山山頂を目指す。山頂から源頭部に下降し、狭薄沢を少し戻り、入渓地点のかなり手前で林道に上がる。林道歩行中に現在地が分からなくなり、国道に出る為に歩き続けたが身体を休ませる必要性を感じ緊急ビバーク(この時点で助かる見込み無く、体力温存だけが唯一の策だった)。翌朝、偶然釣り人に出会い救助を願う。
3.遭難に至るまでの経緯、遭難後の経緯

誰にも知らせず沢登りを決行(※1)。豊平峡大橋を見つけられず、入渓予定時刻を大幅に過ぎた。
狭薄沢遡行自体は特に問題も無く予定通り(※2)。源頭部到着は当初下降開始予定時間の14:30分だった。源頭部からは、食料も尽きたし、とにかく早く山頂を目指そうと思った。藪こぎは想定外(※3)。

16:30分頃山頂付近に到着。山頂から林道を下り車まで順調に戻れたとして、どんなに早くても2hはかかると思った。
ところが、稜線らしき所に出ても三角点どころか足元もまともに見えない。一瞬のうちに2hでは到底下山できそうにないと悟った。山頂はガスっており天気の崩れを予想させ、余計追い詰められた(実際は崩れなかった)。

余裕があればガマ沢川に乗越し、あるらしい縦走路を進むという選択肢もあるのかも知れないが、私の実力では無理だと思った。確実なのは来た道を戻ることだと思い下降を開始した。

どう下りても地形的には源頭部に着くだろうと油断して、力任せに降りた。沢靴だから滑ったと言うより、全身滑り落ちるようにして下降した。
この時、唯一現在地を知らせる携帯を落としてしまい、一度登り返したが結局見つからなかった(※4)。

再び源頭部に戻り、しばらく狭薄沢を下流へ引き返し適当なところから林道に戻る。入渓地点は覚えておらず、登り易い所から登った(※5)。
時間は17:00分を過ぎており暗くなり始めていた。良かった、これで私は助かるんだと歓喜の雄叫びを上げながら歩き続けた。しかし歩いても歩いても国道への分岐は現れず、おかしいと気づいた時には遅かった。
すでに多くの分岐を闇雲に選択し、現在地が分からなくなっていた(※6)。

歩き続けているうちに夜になり、
助かりたい、という気持ちより休みたい、眠たい、という気持ちの方が強くなった。夜通し歩こうという気持ちにはならなかった。羆の糞を数えきれない程見たが、もはや雄叫びを上げるエネルギーは無くなっていた。
唯一の望みでかすかに救急車の音が聞こえた(ような気がした)分岐に戻り、月明かりの中道脇の蕗が生い茂る場所に腰を落ち着ける。暖をとるための燃料は無く、あるのはSOLのエマージェンシーシートのみ。
沢足袋を脱いで綿の靴下を履き、トレランシューズを履いた。服の着替えは無かったから、濡れた服の上から雨具の上下を着て少しでも体温を逃がさないようにし、明日の朝は目覚めないかもしれないと思いながらビバーク(※7)。

何度も助けにきてもらう夢を見ながら夜明け前に目が覚める。直ぐに行動を開始し、再びアテも無く歩く。後で地図を見返すと、大二股山や漁岳へと続く林道まで足を伸ばしていた(※8)。
前の日の昼から何も食べず、「空沼岳林道」まで来て水が尽きた。うろ覚えながら、空沼岳エリアに足を踏み入れるのは危険だという判断が働いた。来た道を引き返し通り過ぎた分岐の反対方向に歩いて行った。

すると無人の車が2台停車していた。しばらくすると釣り人が歩いてきた。私は思わず泣きながら助けを求めていた。おじさんは車に乗せてくれ、昨日から何も食べていない、と言うと直ぐにパンを提供してくれた。事情を話すと、車をデポした地点(豊平川林道入口)まで乗せてくれと言うのでお願いしますと頭を下げた。

名前を伺ったが、「帰り道だから」と教えてくれなかった(※9)。

4.原因分析
①ルート検討の不備

・狭薄山山頂からの下降のルート検討が充分なされていないのに実行してしまった
・地形図からルートのある無しを判断できておらず、山頂に行けば縦走路もあるようだ、冬期のスキー実績できっと明瞭な踏跡もあるだろうという希望的観測に基づいて行動してしまった
藪山の経験が無く、山頂から容易に下山できない山があると思っていなかった為、山頂に行けばどこに進めばいいか分かるだろうと考えていた
・周辺の夏山の状況も詳しいとは言えない
②想定の甘さ

・沢は簡単そうだ、源頭部からはGPSがあれば万が一道が分からなくなっても山頂へは行けるだろうと思っていた
・自分の地図読みはアテにならない、他人の情報によると難しいとは書いていないと思っていた
・山頂からの下山方法がはっきりしないので、最終源頭部到達時間の設定、最終山頂到達時間などのタイム・リミットの設定はしていなかった
・来た川を戻る想定をしていなかったので、入渓地点を覚えていない
・単独遡行のリスク、夏道の無い山を登るリスク、万が一のトラブルを想定していない

③この日の行動について
(※1)誰にも知らせず単独で沢登りを決行している
・沢登りの際は、パーティーであっても外部への計画書の提出が必要と感じた
(※2)とは言え復路では焦りが出て、足を滑らせ岩から落ち、膝と前頭部を強打。大事に至らなかったのは偶然で、1,000円で購入した工事現場用のヘルメットの強度テストには充分の経験だった。滝は往路に難なく直登できたが、復路ではホールドの印象が若干変わり、慣れない為に微妙な所が何ヶ所かあった。
(※3)想定外の藪こぎ
・植生を事前に調べることも必要だと感じた。藪山では落とし物をしても容易に探すことができず、落とした地点を特定できても取りに行くことが困難である場合がある。また探し物は時間をロスし、途中で現在地を見失いやすい。藪こぎ中にパーティーがはぐれて遭難してしまう状況も不思議では無い。
(※4)山と高原地図アプリを使用していた為か、携帯の電池の消耗が早く、圏外であり、もし落としていなくても何の役にも立たない可能性が高かった。不測の自体に備えるならば、絶対に充電池も必要だ。
(※5)ヘッドランプがあるとは言え暗い中奥深い沢中を歩いており、何かあったら確実に助からない状況だった。
(※6)全長5~8kmの「空沼5号」「大二股2号」「北漁林道」「大峰林道」というような名前の林道が延々と繋がっており、タイヤ痕のはっきりした林道から草が生い茂った林道、羆の糞だらけの林道等を周回しているような気分だった。
(※7)雨に当たっていたらまた状況は違っていただろう。
(※8)感覚としては漁岳登山口方向に向かっているように感じていた。
(※9)豊平川林道ゲートから歩いてきた、と言うと驚いていたが、実際はそれに加えて狭薄沢~狭薄山山頂を経由し緊急ビバークしている。おじさんによると、「空沼岳の方は熊の個体数が多く、あっちに行かなくて良かったね」とのこと。
羆がこんなに多い地域だとは全く知らなかった。
④この日の装備について
ヘッドライト(91ルーメン照射距離50m、電池寿命highで17h、mont-bell製)、携帯(山と高原地図アプリ使用)、ティッシュ、おにぎり1つ、飲むゼリー1p、水2l、ポリ袋、熊鈴、トレランシューズ、靴下、レインウェア上下、エマージェンシーシート
※以上、身軽で素早い行動を目指し普段よりかなり軽装。コンパスと地形図は無かった。
結論として、沢自体は容易なもので、初心者が遡行を計画するのに妥当な選択だった。しかし、山登り・沢登り全般において経験年数の少ない者が単独で遡行するのは危険である。単独遡行のためには、様々なリスクを想定し、装備できるだけの知識と技量が必要であると感じたが、今回はそれを完全に怠っていた。
5.今後の対策

一、目的とする山の状況を事前によく理解すること
一、自分の体力の限界についてよく理解しておくこと(歩く速さ、寒さ暑さに耐えうる体力、寝ずに歩き続けられる体力、絶食でも歩ける体力、体力回復の度合い、ウィークポイント等)
一、八時間以上のコースは前日泊で挑みタイム・リミットを設定すること
一、事前にルートの検討を充分に行うこと(タイム・リミットの設定、危険箇所・エスケープルート・距離把握、現地各ポイントで把握すべき情報の洗い出し、標高把握)
一、道迷いしそうな時、周囲の環境変化にいち早く気付ける感性を磨く
一、事前に起こりうるリスクを想定し生還する為の装備を入念にチェックすること(主な沢でのリスク~高巻き中に滑落/落石による怪我/掴まった風倒木が崩れ滑落/浮石に乗り滑落/鉄砲水に流される/雪渓トンネルが崩れ下敷き/ルート選択のミス/地図を紛失し道迷い/ハーネスのベルト外れる/ザイル・スリングが木からすっぽ抜け/捻挫・骨折して行動不能/体力不足による行動不能等)
一、万が一の為に登山計画書を知人or家族に提出すること(山名/歩くルート/所要時間目安/緊急連絡先/装備/下山連絡時刻)
一、行動時は現在地を見失わないようこまめに地図を見て把握し、見失った場合は戻ること
一、笹薮・低山・天気予報等、山を甘く見ての行動は慎む
一、使命感を持って「以前よりも事故の確率を低くする努力」を継続(日頃からミスを出さない)
一、単独行の場合はプラス1日分の非常食を用意し、警察への連絡はいつでもいいが、捜索は2日目以降にして欲しい旨を家族に伝えておく
一、必ず生還すること

その他
※25年北海道山岳遭難発生状態
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/info/chiiki/sangaku/toukei/h25.pdf

狭薄山ではやはり地図をなくし道迷いの報告。雪渓で滑落し地図落としたとのことだが、藪漕ぎ中地図落とす可能性も高く、地図はコピーして2枚持つといいかも知れない。




2014年7月6日日曜日

狭薄沢~狭薄山で遭難しビバーク

行 動 概 記
平成25年7月5~6日 単独行

1.狭薄沢
誰にも知らせず沢登りに来てしまった。『北海道の山と谷』によると、「定山渓トンネルを抜けて定山湖に下りる」といいのだが、やはり何事もすんなり行かない。豊平峡ダム、さっぽろ湖、札幌岳登山口間を右往左往しこれで早速1時間半程のロス。
8:45分林道ゲート前に車をデポ、40分程歩くと豊平峡大橋。しばらく林道を歩き右側の出合から入渓。

狭薄沢は倒木が多かった。少し奥まった所から(私の基準で)F1が現れ、その後連続して滝が出てくるが3つ目まで数えて途中でやめた。中には滑滝もあった。特に難しい所はなかった。
土管の先に2つ雪渓があり、ここは下を通過。ふきのとうがひょっこり顔を出していた。
いかにもクライマックスらしい場所を抜け、沢が細くなりいよいよ源頭部。

2.山頂で絶望
14:30分頃源頭部到着、だいぶ時間が押しているのでそこからはとにかく早く山頂を目指そうと思った。
いざ入ってみると逞しくおがったササの猛烈な藪こぎ。2時間は漕いでいたと思う、コンタも結構稼いだ。
16:30分ようやく山頂付近に到着。見晴らしの良い場所に出ることができる、三角点を写したらすぐ下山するぞ、と思っていた。ところが、稜線に出ても三角点どころが相変わらず逞しくおがったササと頑固そうな木しか見えない。ガスっており余計近くしか見えない。一瞬頭の中真っ白。しかし困って居てもどうにもならない。時間も時間だし早く次の行動を決めなければならない。
ガマ沢川にのっこしたらいいか、縦走路らしき道を進むか、いや確実なのは来た道を戻ることだ、と思い下降を開始した。変な気を起こさず本当に良かった。途中でiPhone5を落としたが、「命以外は屁みたいなもの」と思って早々に諦めがついた。あそこなら誰かに回収される心配も無いだろう。無駄な残置をしてしまった。

3.恐怖の林道歩き
うまく源頭部まで降りることができた。しばらく戻って適当なところから林道に戻った。
良かった、これで私は助かるんだ。嬉しさのあまり歓喜の雄叫びがしばらく続いた。しかし道はいつしか不明瞭となり、見たことの無い林道が続いた。「空沼5号」、「大峰2号」、「北漁林道」だとかこんな名前だった。歩いているうちに夜になった。食料もなければ唯一の頼みだったGPSも無くした、今日はもう家に帰れないかも知れない、それどころか、もう二度と家に帰れないかも知れないと思いながら歩き続けた。翌日のニュースに自分が登場している映像が何度も浮かんだ。人恋しくて仕方が無かった。
羆のフンは数えきれない程見たが、最早雄叫びを上げる元気も無くなっていた。林道に上がってから30キロ以上歩いたと思う。疲れたもう限界だ、眠たい、今夜はここでビバークしよう。羆のフンも気配も感じられないようなエリアだった。
明日朝目覚めないかもしれないと思いながらシートにくるまって寝た。

4.救出される
夜明けとともに起きた。何度も何度も助けに来てもらる夢を見た。再び林道から林道へと彷徨った。現実は甘くない。3時間程歩いて、とうとう水も無くなった。
それにしても昨日の昼から何も食べていないが、意外と動けて驚く。しかし水も無くなってしまうと切なくなった。歩いて歩いて「空沼岳林道」まで来た。ここを10km歩くと空沼岳登山口らしい。国道に出るのは何時間後になるだろう。万事休すだ。来た道を引き返し、通り過ぎた分岐の反対方向に歩いて行った。
すると車があった。釣り人が歩いてきた。私は思わず泣きながら助けを求めた。
おじさんは車に乗せてくれた。昨日から何も食べていない、と言ったらパンをくれた。車をデポした林道ゲートまで乗せてくれたおじさんの名前を聞いたが、「帰り道だから」と教えてくれなかった。
5h程の沢登りと2h程の藪こぎ、4、50km程の林道歩きを含めると、日高の幌尻岳に匹敵するくらいの労力を使ったのではないか。その厳しさ、しっかりと脳裏に焼き付いた。羆は気配だけで、結局遭遇することは無かった。マダニは今私の腹で飼われている。

リンク→狭薄沢~狭薄山遭難報告書