2014年9月10日水曜日

羊蹄山初登頂。

9:06 登山口、13:25 羊蹄山避難小屋着
13:55 外輪山一周スタート。15:03 三角点、15:07 山頂。意外と岩稜帯が続く。16:05 2hと少々で小屋に戻る。

1枚目 昭文社山と高原地図のニセコ・羊蹄山の著者、東京農大生物産業学部教授の日下哉先生。

2枚目 ヒラフコースの途中にある星が沼。ここだけは晴れ間が見えていた。

3枚目 初の山頂、生憎のガス。

4枚目 避難小屋泊。夕食はことごとく失敗、麺だけはなんとか喉の奥に流し込み横になる。

5枚目 宴会、楽しかった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

4度目にして初めて山頂に立った。

昨年の9月のこと、早朝見慣れた風景に見たことも無いようなガスが立ち込めていて驚いたことがある。これは土の温度と気温の温度差によって起こる現象らしいが、9月といったらそれ位の記憶しかない。今年の9月は、とにかく空気が澄んでいる。それは登山をするのでよく空を見上げるため感じるのかも知れない。が、5月にようやく雪解けとなり、6月の長雨、7、8月も週末になると大気が不安定となり雨、台風、原因不明のスモッグ、9月の集中豪雨・・・その狭間で見上げる空だからだろうか、何度、「なんて清々しい空だろう」と感動し有難く感じたことか知れない。詰まる所、自然に対し謙虚な気持ちでいたからこその境地ではないかと思っている。

そんな空に少しでも近づきたいと、未だ未踏の羊蹄山山頂を目指し、できるだけ長く居たいと山小屋泊を計画した。中秋の名月の翌日らしく、運が良ければ綺麗なお月様も見れるかもしれないと期待した。泊まるのだからゆっくり行っても良いのだが、今回こそ必ず辿り着くぞと意気込むあまり、真狩コース登山口には9:06分に着いた。じっくり行こう、4度目にして初めて登山口で登山届けも書いた。

7合目で男性から「撮影していいですか」と声をかけられる。山ではどんな出会いもそれぞれに味わい深いが、こういうのは少し照れ臭い。撮影が終わると、私は昭文社の山と高原地図の『ニセコ・羊蹄山』の著者だが、来年発表予定の本に掲載するかも知れないので住所を教えて下さいと言う。後で調べたら、私がこの時お会いしたのは東京農業大学生物産業学部教授の日下哉先生らしい。記念に一枚撮らせてもらい、ありがとうございましたとお礼を言って上を目指す。直ぐに静けさが戻る。

ザックの重さは11〜12kgだった。出発から4時間20分後、フラフラの状態で避難小屋に到着。登りながら食べる物の事ばかり考えていたのだが、この日担いできた物は生ラーメン&キムチ、ミニあんぱん2つ、オニギリ1つ、豆少々、ぬるいビール350mlが1缶、お湯500mlで全てだ。山中泊で食べる料理には並々ならぬ関心があるが、さりとて特別なこだわりは無く、結局直ぐできてお腹も膨れるラーメンと、身体が暖まりそうなキムチにした。あまりジャンクにならなければそれでいい。

さて、今昼食兼夕食にラーメン&キムチを食べてしまえば、残るはミニあんぱんとオニギリ1つと豆だ。水分も2.5lとビールしかない。米を持ってくれば良かった、もしお月見ができたとして、夜中ひもじい思いをするだろうな、それどころか明日の食料はろくな物が無いな。できるだけ食料を明日に残し、今夜は摂生するとなると、最小限の水でラーメンを作って、ビールとラーメンのスープでしっかり水分補給もして、口寂しくならないようにさっさと寝るしかない、と決めた。

昨年新しくなった綺麗な羊蹄山避難小屋に入ると、お水が備蓄してあるのが目に入る。雨水を溜めて定期的に訪れる管理者の方がここにこうして運ぶのだろうか、と思いながらお水が入った容器の蓋を開けると、奥から管理人さんがやって来られた。「お水足りないのですか?」と柔らかな物腰。ええ、ちょっと心許ないのです。ですが、明日まで様子をみてみます、と言って頭を下げた。なんとなく、避難小屋の管理人さんはしばらくここで生活されているらしい、と思った。

管理人さんは、どの位のサイクルでここに泊まっていらっしゃるのか、食べものや飲みものは足りているだろうか、お水はこれで全てなのだろうか等、興味半分、怖さ半分で避難小屋の使い方の説明を受ける。ここは営業小屋ではなく、避難小屋ですので詰めて寝て頂くこともあります。それからトイレはバイオトイレなので紙類は持ち帰るようお願いしますとのこと。その他消灯時間や調理場所の説明等一通り聞いたら後はもうすることが無い。

食料や天気予報の状況から、今日中に外輪山を一周し羊蹄山山頂を踏むことにした。ザックにカッパと水と貴重品だけ持って、避難小屋を出る。とても寒い。疲れた身体のもうひと踏ん張り、ガスって余計寒く感じる山頂付近は管理人さんの言う通りの岩綾帯で、寂寞としている。やがて先月の富良野岳以来の一等三角点をタッチした。山頂標識は撮影だけして淡々と通過、管理人さんの言う通り、2時間少々で暖かい小屋に戻った。

今夜はこの雲が風で飛ばされ晴れてくれないだろうか、月とご来光が見れたらいいなと期待を膨らませながら、ゆっくり夕食の準備をする。ここでヘッデンとストーブが無いことに気づき、仕方なく窓からの明かりで、朝の珈琲用に持ってきたお湯に生ラーメンを浮かべて食べる。貴重な食料が最高に不味いという悲しき事態、息を止めてスープも飲んでみたが一口でやめた。仕方が無いので麺のみ完食しビールを持って寝床に潜り込んだ。

階下からは笑い声が聞こえる、後から来た二人組も姿はよく見ていないが、落ち着いた雰囲気。20:30消灯まで眠れなくてもいいや、と思っていた。それにしても早く就床しただけで、行動中はいつもと変わり無い忙しなさだった、と反省し目を閉じた所で管理人さんに階下にお呼ばれされた。そうして五人の山好きの宴が始まった。兼ねてより、団塊の世代位の方の山の世界観を聞いてみたいと思っていたのが実現した。管理人さんが「楽しいなあ」としみじみ言う。私も一人の時とは比べものにならない程、時間の質の違いをしみじみ噛み締め、頂いたウィスキーのロックを噛み締め、頂いたクラッカー・オン・クリームチーズ&生ベーコンを噛み締め、管理人近藤さんが調理してくれた頂いたジンギスカンの味を贅沢にも噛み締めていた。ウィスキーはとても身体が暖まり、人の笑い声ですっかり心も暖まった。11/10日にBSプレミアムの日本百名山という番組で、羊蹄山避難小屋が出るとのこと。
海外トレッキングもされるという団塊の世代のお二人からは、お月見饅頭まで頂き、大事に枕元に置いて就床。
管理人近藤さん、皆さん、どうもありがとうございます。

21:30分に目覚め一度外に出たら、夜景が見えた。風は適度に吹いていた。できることならこのまま朝を迎えかいと思った。暗い中にポツンと一人、少し寂しくはあるが羊蹄山の上に居る、その感慨の方が強く心は高鳴っていた。それでなんとなく中に戻りそびれていたのだが、5分も経たない内にガスが立ち込めて来て、あっという間に夜景は見えなくなった。今度はとても怖くなり、慌てて暖かい寝床に戻った。

翌朝、軽く食事をし皆さんにお世話になりましたとご挨拶をし、一番に下山する。下山中楽しかった記憶が蘇っては消えて行く。結局、ミニあんぱん2つを残して戻ることができた。また来ます、と登山口で呟き登山届けに下山報告をした。早い時間だったので、真っ直ぐ札幌に戻った。













0 件のコメント:

コメントを投稿